「大地の芸術祭」公式アプリ開発秘話 安心安全と現地での体験向上を実現するために
新潟県越後妻有地域(十日町市・津南町)で開催されている日本を代表するアートフェスティバル「大地の芸術祭」。現地で安心安全な芸術祭を実現するとともに、現地でのよりよい体験向上や接点の維持を図ろうと公式アプリを開発し、今年の芸術祭で活用しています。
公式アプリ開発に至るまでの経緯や思い、苦労について、大地の芸術祭公式アプリ企画開発担当者とフラーのディレクターが語りました。(敬称略、記事・写真・編集:フラーのデジタルノート編集部・日影耕造)
※ 2021年10月20日のインタビュー記事です
安心とともに地域の魅力をもっと知ってもらうために
ーーお二人がアプリの開発を手掛けられたのは初めてですか?
宮澤:「十日町ナビ」という十日町市のアプリの運営を担当したことはありましたが、ゼロからの開発は初めてです。
石井:私は、「十日町ナビ」の開発に関わっていたのですが、既存のプラットフォームのカスタマイズではなく、ゼロからのアプリ開発は初めてでした。
ーー大地の芸術祭の公式アプリはどのようにして生まれたのでしょうか?
石井:大地の芸術祭でのアプリを含むデジタル活用については、私が2012年に初めて芸術祭の担当となった頃から、来場者からのアンケートの回答や事務局スタッフの意見として何度も上がっていました。
「あったら便利だな」と思う一方で、デジタル化にあえて進まなかったのは、デジタルを活用しようという理由が「便利だから」ということにすぎなかったからです。
大地の芸術祭の特徴であり大事にしていることに「不便さ」や「大変さ」、「非効率さ」があります。
そういう体験を経て感じられる地域の魅力や人間の普遍的な美しさを大切にしています。
そうした大地の芸術祭が大切にしてきたものと折り合いをつけるという意味では、単に「デジタルが便利だから」というだけでは開発にいたる決定的な理由にはなりませんでした。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大が大きな転機になりました。
アプリやデジタルを使って、自然に密を避けられて接触を減らしたり、感染のリスクを減らしながら地域の皆さんにもお客さんにも安心して来てもらえる場所・地域作りができないかと、今回、大きくデジタル活用へと話が進んだのです。
さらに、デジタルが社会や身近な生活に浸透していく中で、単純な便利さの追求ではなくて、デジタルを使って地域の魅力をもっと知ってもらうことができるのではないかとアプリ活用の話が深まりました。
ただ、行政の立場である私たちはデジタル分野の専門ではないこともあり、大地の芸術祭の安心・安全の確保や不安払拭といったいわゆる「守り」について、正直、デジタルを用いた解決策はやや漠然としていましたし、デジタルによって「こうしたら楽しくなるんじゃないか」「こうしたらもっと良いものができるのではないか」といった「攻め」の部分も一緒に考えて最適な解決策を見出すという点について、フラーさんを頼りにさせてもらうことにしました。
コロナ禍の芸術祭開催に向けて背中を押したアプリ
ーーなぜフラーとアプリを開発するという選択肢を選んだのですか?
石井:課題や解決策について、ゼロから、まさに根本から考える形でコミットしていただいたことが大きかったです。
開発に着手する前には、倉知さんをはじめとするフラーの皆さんとディスカッションしただけではなく、芸術祭側の内部的な議論の場にも一緒に参加いただき、自分たちだけでは思い浮かばないような事柄も一緒に考えていただけました。
実際に開発を進める際には、芸術祭そのものを知ることや私たちの抱える課題を知ることにすごく時間をかけていただきました。
結果としてそういうところがすごくありがたかったですし、コロナ禍の芸術祭開催に向けて背中を押していただいたと思っています。
ーー当事者意識はフラーのカルチャーかもしれないですね。
倉知:実は取り組みが始まった当初、強い危機感がありました。自分自身が大地の芸術祭について全然理解できてないという自覚があったからです。
そこで、自分自身の理解を深めるため、内部で意見を交わしてる場面を見学させてほしいとお願いして、大地の芸術祭を運営するスタッフの皆さんのミーティングに参加しました。「本音をちゃんと聞きたいので、私たちはいないものとしてお話してくださいと」、無理なお願いをしてしまいました。
2020年12月のはじめごろでした。結局そこから1カ月以上、さまざまなミーティングに参加して方向性が決まるまで時間をかけました。
でも、そのおかげで、あらためて大地の芸術祭の運営が本当に大変なのだと理解できました。
現地に足を運ぶことで見えたものもたくさんありました。例えば、冬に行われるイベント「越後妻有 雪花火」です。これまで地域芸術祭自体を体験する機会がなかったので、芸術祭ならではの「不便さ」とはどういうことなのだろうと思っていましたが、場所や季節によっては大地の芸術祭の作品そのものにたどり着くことも大変なんだな、といった不便さもわかりました。
現場を自分で体感することで、便利さだけを追求するのではなく、あえて不便さを残しながら「行かないと分からない魅力や楽しさをデジタルを通じてどう伝えるか」という方向に思考が切り替わったのを覚えています。
一連の体験によって、表面上の課題解決ではなくて、実際に現場に入って見える課題が実はものすごく重要であって、ディレクターの立場としてはその現場で見えた課題の解決にまずは重点を置いたほうが良いという意識になったのです。それが開発にあたっての最初の山でした。
そして、もうひとつの山が、現地で動いている「スタッフの皆さんの苦労」です。
大地の芸術祭の企画や運営といった事務局の苦労は理解できたのですが、実際に現場で動いてるスタッフの皆さんの大変さというのは、そこではまだ分かっていなかったんですね。
仕様策定を進めていく中で、宮澤さんをはじめとする事務局のみなさんから色々なお話しを伺って、現場のスタッフの皆さんの苦労がようやく分かりました。これがもうひとつの山です。
石井:大地の芸術祭の大きな特徴は、作品の受付などに地域のおじいちゃんやおばあちゃんが立つことが多いことです。参加してくださっている地域の皆さんが主役なのです。
シニアにスマホが浸透しつつあるとはいえ、世代的にはスマホを使い慣れていない人がいっぱいいるわけですね。
大地の芸術祭の場合、そういう方々を少数派とは見れません。むしろ主役です。そういった地域の皆さんがいることを前提にいろんなことを考えていかなくてはいけないなと感じていました。
アプリの仕様策定の議論では、おじいちゃんやおばあちゃんでも使える・楽しめるといった点を大事なコンセプトとしたいとご相談させてもらいました。
倉知:実は今日、インタビューの前に大地の芸術祭の作品を巡っていたのですが、天候は雨。滑ってしまってズボンがずぶ濡れになりました。必死の思いで作品にたどり着いて思ったのが、地元の人は普段こういう道を通っているんだなと。
全員:(笑)
倉知:その時、「不便さを大事」にするというのはこういうことだなと実感したんです。
「あえての不便さ」はわかっていたつもりだったんです。でも、今日、自分が実際に体験してみて「こういうことなのか」とあらためて理解しました。
ーー倉知さんは何回ぐらい越後妻有に入りましたか?
倉知:ローンチまでは4回ほどです。コロナ禍での開発となり、移動もなかなかままならない状態でしたからね。コロナがなければもっと行っていたと思います。
宮澤:でも、その代わりにオンラインコミュニケーションツールをフルに活用して毎週のようにミーティングをしましたよね。特に開発期間中はちょうど行政でもオンラインでミーティングができる環境が整った時期でもありましたし。
オンラインコミュニケーションをフル活用
ーー対面で会えないことで辛かったり苦しかったりしたことはありますか?
石井:そこまでなかったですね。
宮澤:最低でも週1はコミュニケーションをとっていたので、オフラインでは会っていませんでしたが、顔を合わせて仕事をしていないという感じはしませんでした。
石井:以前だと連絡といえばメールや電話だったと思うんですけど、コロナでコミュニケーションの前提が変わったので、Slackで連絡していました。スケジューリングもしやすくて本当に助かりました。
宮澤:スピーディーに進められましたしね。このスピード感は、コロナ禍が生み出したものだと感じています。
アプリを通して地域を楽しんで地域を知ってもらう
石井:アプリのコアとなる要素は大きく分けて3つあります。
まずは自然に密な状態を避けられたり、接触の機会を減らしたりといった「感染対策」です。
2つ目は越後妻有や大地の芸術祭の魅力を深めて広げ「大地の芸術祭を知ってもらうきっかけにする」ことです。
3つ目が、お年寄りをはじめとする地域の皆さんを含め、「だれでも使いやすいものにする」ということです。
それぞれの要素に対して、答えの出し方に色々な可能性がある中で、大地の芸術祭の特徴をわかっていただきながらどう進めていくのかに時間をかけました。
ーーユーザーの実際の反応はどうでしょうか?
宮澤:すごく楽しんでいただいているなという印象です。
特に今回、スタンプラリーがお客様にとても好評です。案内所や受付でも「スタンプを集めるとどんどん稲が育っていくのが楽しい」という声も多いです。実際に私も回ってみると楽しくなって、稲を育てたいがために意地になって、「やっぱりこっちの作品も行ってみよう」「プラス15分で行けるんだから、ここの作品にもいけるかも!」みたいな(笑)。こんな風に楽しめるのは、アプリならではだと思います。
石井:一番最初にアプリについて北川フラム総合ディレクターに話した時、「作品を巡る楽しさを出してほしい」といった一言があり、それをフラーさんにお伝えしました。それがこのような楽しい形でアウトプットになったのだなと感じています。
倉知:工数がかかるので削ろうかどうか検討していた時期もあったのですが、稲とじもと話に関しては社内でも結構頑張ってもらいました。
デザインするのにあたって生育の仕組みなども調べました。デザイナーの原と一野瀬の3人で調べて、稲の生育を何段階にするかたくさん話し合いをしました。やっぱりお米を育てている地域でもあるので、そこで間違ったら絶対ダメだなって思いました。
開発の最中は大変でしたが、守ってよかったなと今では思います。稲の育ち方も工夫していて、最初の方は結構早く育つんです。そして、だんだん育つのが遅くなっていくという形です。実はゲーム性がけっこう盛り込まれています。
宮澤:こういう見えない部分まですごくこだわってくださっているから、そこに愛を感じます。
ーーじもと話もとても興味深いですね。
倉知:じもと話の原案は十日町市さんからいただきました。地域の人たちと作家の人たちがコミュニケーションを取る中で作品が出来上がってきたことを表現するために、作品に関連する情報やエピソードを出したいというアイディアです。
石井:例えば、道を走っていると見えてくる土木構築物。何事もなく通り過ぎてしまいそうですが、この地域が雪がたくさん積もって、自然が厳しくて、災害の備えとしてあるものがあって、家の造り一つを見ても、雪が多いからこそ、色々なパターンの雪対策をしている、といったお話です。
そういった地域のことを大地の芸術祭のバスツアーのガイドの皆さんがお話しするのですが、お客さんに楽しんでもらっているポイントだなと感じていたんです。作品を巡りながらそういうこともぜひ知ってもらって、この地域の人がどう生きているかを伝えるのが芸術祭の大事なコンセプトでもあります。
ーー実際に運営された方じゃないとなかなか汲み取れない要素ですね。
石井:作品をきっかけに地域を楽しんで地域を知ってもらうことを、アプリを通して提供できるようになったと思っています。
ーーコンテンツの取材は事務局で全部やられているのですか?
石井:はい、そうです。ガイドさんとお話ししたり、詳しい人に話を聞いたり、資料や地域の昔話を読んだりとか、そういったことをあらためてやり直しています。
倉知:ガイドブックや単純な情報だとわからない、現地に行って初めてわかる良さが大地の芸術祭にはすごくたくさんあると思っています。現地の人とコミュニケーションを取ったり、実際に歩いてみて分かることってすごくたくさんあるんです。アプリがそれを表現する場になったら嬉しいですね。
石井:僕らも大事にしているし、それがアプリでできるようになれば、本当に願ったりかなったりですね。
みんながデジタルを使い、活かせる地域づくりを
ーーアプリ開発の経験を通じて、学んだことや気づいたことがあればお聞かせください。
石井:アプリでやれることの多さや可能性をすごく感じました。また、一緒にお仕事をする中で、オンラインを活用したコミュニケーションをはじめとする仕事の仕方として、僕ら行政が通常やっているフィールドからすこし離れたところにいろんな可能性があるなと感じました。
市役所の仕事、行政の仕事をしていると、お年寄りなど、アプリとかデジタルとかを使い慣れていない市民の方々に対しても公平にサービスが行き渡らないといけないと考えます。
使い慣れていない誰かのことを考えていくと、ついつい使えない前提で事業を計画しがちなんですよね。僕ら自身もデジタルを使い慣れてないっていうのもあるんですけどね。
そういうことももちろん大事なのですが、みんながデジタルを使い、活かせる世の中づくりや地域づくりをする方がすごく生産的で建設的だなと、今回仕事しながら強く感じました。前向きにもっとみんながデジタルを使えるようにボトムアップしていくというか。
大地の芸術祭という「地域づくり」は、地域の皆さんに関わってもらうものなので、アプリをきっかけにしてこうしたデジタルをみんなが使える楽しい世の中づくりや、生産的な議論をするきっかけになったらいいなと感じました。
宮澤:コロナ禍で、行政含めて世の中の認識が変わっているところでもあります。この情勢の変化を、ただネガティブに捉えるのではなくて、それをうまく利用できるものは利用していく、そして、このまま行動変容はどんどん起きていくと思うので、行政も地域も変わっていけたらいいんじゃないかなと思います。